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投資の心得と仏教の三学(戒・定・慧) #諸行無常と金融工学

金融工学というと何か特別高尚なものに聞こえるかも知れないが、所詮人間のやることである。

そして金融工学を投資の実践(実戦)に用いるとき、最大の要は、当該の投資戦略を採用するか?もしくは中止するか?といった判断である。
 個々のトレーディングの戦術的な取引執行のある程度は金融工学のアイディアにまかせる事は出来るかもしれないが、全体の戦略においては、そのシナリオを採用するか解雇するかの判断は別次元の人間の営みとなる。

システムトレードを既に実践している方々に「あなたは何故システムトレードをやっているのか?」という問いかけをすると、「投資の判断において、自分のアナログ的な感覚に重きを置くと事前に作った取引ルール(ロスカット・ルールなど)を守れなくなる場面がでてきてしまう。  それを避けるためにシステムに売買の執行を全面的に任せるのだ」という答えが返ってくることが多い。

 このことを踏まえつつ投資家の辿る道をザッと見ていくこととする。
 投資(主に証券投資)を始めたばかりの初心者の関心事は、何はさておき「どの株が上がるか?」といった、客観的投資対象のこれからの値動きについての見通しである。
 つまり予想が当たりさえすれば、利益が転がり込んでくると思ってしまうのが初心者にあるがちなことである。
 こういった思いはとても強く、この段階から一歩先の段階に進める投資家は実はかなり少ない。
 このことが、世のエコノミスト・ストラテジストの多くの仕事を(単なる予想屋の域を出ずに)これからの世界はどうなるとか、この会社はこのようになっていくといった予想の類の情報発信に集中させ、投資の話と言えば、世の中に溢れかえる「明日の日経平均は?」「年末のドル円のレベルは?」といったモノをイメージさせる所以である。

しかし投資をそれなりの期間続けていくと、予想が当たっても外れてもどうでも良くなっていく段階に進んでいく。
「進む」と書いたのだが、実際には「予想が当たった」としても「それが現実の収益に結びつかない」事が、如何に多いかを学ぶ段階に至ることが多いのだろう。
 であれば、思ったように収益が上がらない地平に到達したからこそ、そのような感想を持ったわけだから「進歩」といえるのかどうか多少躊躇するところで、「進む」という言葉をつかうのが妥当であるのか疑わしいのであるが。

 さて、この段階になると投資家は「資金管理」のハウツー学習及び「自己ルール」確立の重要性を語り出すのである。
 その自己管理の最初の一歩で、且つ最重要と思われる、ロスカット(損切り)ルールの徹底は世に出ている投資本のほとんどに書かれているし、かなりの初心者もそのことを知っている。
 さて、そんな初心者の内ごく僅かが、数学や統計を使って、合理的な投資行動のハウツーを学びはじめる。
冒頭に引用したシステムトレーダーなどはこの段階に入った方々なのだろう。
 さらに行動経済学などを学びこの領域を進歩させようと努める投資家も現れる。
さて、一般の投資のハウツー書、ノウハウ書、投資手法の理論書、その呼び方はいずれにしても、ここまでは世の中に公開されているものを探すのは難しくはない。
知識としての習得は困難ではない。

しかしながら、此処で得た知識を実践(実戦)に移し「資金管理」「自己管理」を守ろうと努力し始めたときになって、このような決まり事を厳格に守り実行していく事が、如何に難しいかに直面する投資家が続出する。
 そして、投資によって利益をあげようと思い、投資を学び始めた多くの投資家がここの地平で挫折しマーケットから去っていくことになる。

自分のルールを守れないということ

その理由の一つとして「自分のルール」そのものがうまくできていなくて、そのルールに従うと利益が上がるどころか損が膨らむようになっている場合もあるだろう。
 そして、実際、そのようなケースは多いのだろう。
この場合は取引をシステム化しても収益が上がるようにはならない。
これは通常「ロジック」そのものが間違っていると言われる事態であろう。
もし「ロジックが間違っている」もしくは「ロジックが時代遅れとなりフィットしなくなってきた」という問題だけであれば、このロジックを再検討することに力を注げばよい。
※ 口ではこのように簡単に言っているが、この作業は相当に高度であり、もちろん一筋縄で出来るようにはならない。

さてロジックが完璧であっても、というより、そのロジックが正しいのか否かも判定出来きていない程度の段階であっても、さしたる理由もなく「自分のルール」を全く守れない投資家がたくさん存在するのが普通のことでなのである。
これこそが、投資において(人生においても)最も大きな問題なのである。
これについての解決策を探し求めていた末に筆者は仏教にたどり着いたのかも知れない。

 ここで、表題にある仏道の実践に係わる教えの三本柱、いわゆる三学(戒・定・慧)を投資の心得と関連づけながら紹介しよう。

 「慧」とは「智慧の慧」である。  仏教本来の意味においては、「『知識習得』とか『正しい理論を構築する』といった一般的な知恵である分別知」を超えたところの叡智(英知)を指すので、「慧」という難しい漢字を使うのであるが、ここでは、投資の理論や将来の予測に関して、頭(思考)をきちんと働かせることによって、よりよき状態になるだろう知的作業を「慧」のところにとりあえず分類しておこう。
 具体的には「経済の予測」や「投資手法のノウハウ」に関しての思考思慮を深めるといったことを指す。

「戒」とは一般にいわれる「戒律」のことである。  
すなわち、守るべきルールのことを「戒」というのであるが、単にルールそのものの重要性を説いているだけではなく、むしろ「戒律を守る」その行為を訓練して実践可能にしていく事こそが大事なのである。  
 「戒」を守ることを維持する事も大事な修行のひとつなのである。

これは、人間はそもそも『決まり事』(たとえ、それを自分が決めたとしても)を守れない存在であるということを前提としている。
 こういった思考法について、ロスカットルールが肝腎なところで守れないと言って嘆くことを何度も何度も繰り返している投資家は良く参考にして欲しい。
ロスカットルールを守るために「さらに精神力を鍛えよ」というメッセージは一見正しそうだが、実際にやるべき事はその正反対のことなのだろうと筆者は思っている。

 基本的には人間とは自分で決めた事すら実行できない存在なのである。

この様に定義すると、過去を振り返り、あの時、このようにすれば良かったという後悔も、将来を見据え、こういった事態が生起した場合にはこのよう対応にすればさらに良い結果がもたらされるはず、といった過去・未来を(実はそのようには動けないかもしれない)仮定の実行を前提として想像を組み立てる行為の虚しさを我々は知ることとなろう。

しかし、それで落胆する必要はない。
まず「ルールは守られない・守りきれないものである。」と規定しよう。 
その上でどのようにすれば、それに伴うリスクを軽減できるのか?
結局は一段上のルールを構築するということになるのだが、この前提に立てば「手続き」を組みたてるプロセスそのものが変わってくることになろう。

そのような手続きの工夫に加えて、ルールを守れない自分の性行をよく知る事の重要性も強調しておきたい。
 このときにやってはならないことが「自分には精神力が足らない」という極めて抽象的な言葉で結論を急いで持ってきてそれ以降の思考を停止させることである。
 「なぜ自分はルールを守れないのか」について深く、かつ正確に思考することである。

同時に行うべき事が「ルール」を守る実践を実行し続けることである。
これは「戒の実践」に他ならないから、「修行せよ」といっているのと同議である。

さて「慧」と「戒」までは、仏教の教えでなくとも類似の思想はある。
最後に仏教の他にはないユニークな教え「定」を解説しよう。

「定」とかいて「じょう」と読む。

本来的な仏教の意味においては「禅定(ぜんじょう)」の定をさす。
ここで「禅」を語り出すといくら語っても語り足らないこととなるので、本日はその「瞑想」の側面のみから言及することにする。
 ※本来の禅はそこから先が大事なのだが・・・

仏教的瞑想は、「精神の集中」と「平常心の持続」が要となる。
その時、「不要な論理思考を放棄し『無我』」状態を作り出して」事に当たるのである。
いわゆる「無心」であるが、このとき感覚は停止するどころか極めてとぎすまされた状態になる。

一流の運動選手が、練習によって身体に覚えさせた究極の身体行動を実現するときに「何も考えていない」「何かを考えていたら実践できない」という状態となることは想像に難くないだろう。
こういった「無心の境地」を作り出すためのさらなる「心的」トレーニングということもあるだろう。

ところで、「投資の場面」において「自己ルール」が守れない時を考察してみると、マーケットにおいて今対峙している商品の価格がこれからどうなるか?についての思考、それに伴いどのように判断するのがベストであるかといった思考が、どこかに飛んでいってしまって、他の(どうでも良い類の)自分の都合にもとづく感情的思い(こんなに損をしたらこれだけ苦しくなるのだろう等といった思い等)に関する計り事(無駄な思索・妄想)に没頭して、「いま心、此処にあらず」状態に陥っていることが極めて多いと筆者は思うのだがどうだろう?
 ここで最も必要なのはクールな頭だ。

とはいえ、何はともあれ「瞑想」のテクニックを強調し上の問題を解決せよという進言をするつもりは全くない。
禅の勉強はきちんとした指導者の下で行うことが最も肝腎で自己流での瞑想は極めて危険だからだ。

このような特殊な意味(禅定の定という)での「定」ということではなく
「定」は「安定の定」でもある。

心を安定させるという意味の他、
 行為を安定させる・・・言い換えれば正しい行為を定着させる。
という解釈をしても良いのかも知れない。

この重要性に気づくことにより、我々の日常は大きく改善されるはずである。

「正しい行為を定着させる」とは、ほとんどが全て実践であり文字化されるような類のモノではない。
ゆえに世の中にあるたくさんの本(本日のテーマの投資関連の本にしても)にも此処に言及するモノは極めて少ない。
 さらに言えば、テキストでそのことを知って頭に仕舞っていても何にもならないのである。

しかし、実際のところ、投資で収益を上げるにはこのポイントが最重要なのである。
その日その日の投資行動を(高い集中力と無我無心の境地で)極めてクールに実行していくことを、その場の気分でその時だけ行うのではなく、ずっと持続していくこと。
 自らの良い習慣を定着させていってこそ我々は自らの人生を充実させることが出来るのだと言い換えることも出来るだろう。


最後に今一度確認しておきたいことは、

「人間は自分の思い通りにさえ行動できない」

という事実こそが人間(衆生)のデフォルトである。

ということである。

その克服のための修行が、日々の実践において極めて重要なのである。

自戒をこめてこれを結びといたします。

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